誘って






秋口の昼。
少し冷たい風が頬を撫でる。庭の木は乾いた葉の掠れあう音を立てて。
しかし幸村のすることはいつもと変わらず。今日も幾分か押し付けられた信幸の分の仕事も共にこなし筆を走らせる。
一通り片付いた頃には既に日が傾き。風の強さも相俟ってか肌寒い。
ふと部屋の隅を見れば、先日町へ出たときに気になってつい買ってしまった香炉が箱に入ったまま放置されている。
別段、これといって幸村には香を焚く趣味はない。ならば何故そんな物が置いてあるのか。
理由は簡単で。店先に並べられていたそれを見ていたら、店主が珍しい物だと言ってきた為つい手にとってしまっただけだ。
しかもご丁寧に香までつけてきた。その行為にどうにも断れる気配が無くついには買ってしまい、部屋に置いた時後悔した。
こういった類の物を見ると、どうしても脳裏に浮かぶのはただ一人。

「・・・・俺は何を考えているんだ・・・・。」

浮かんだ者を掻き消すように頭を振れば。気を紛らわせる事もあり筆などを片付けようと思い立つ。
葉のかすれる音が外を彩る中、カタカタと文箱をしまう音が部屋に響く。
息抜きに外へ出てみれば丁度目の前から十勇士の一人、才蔵が音も立てず歩いてくる姿を見つけた。
特に用は無いが、なんとなく声をかければ無言のまま立ち止まる。
普段から口数の少ない才蔵は切れ長の細い目をしている為、見た目だけではどうも声をかけ辛い風貌の男。
だが話をすればその口調は静かに低く響く。だがそれを不快とは思わず。
どちらかと言えば落ち着いて話をするには最適な相手であるのだ。

「才蔵、一つ聞きたいのだがお前は香など焚くか?」

特に話題としてはそれしか見つからず。呼び止めてしまったのだから何か話題を振らねばならないのでとりあえず聞いてみた。
幸村の考えなど知らず、ただ聞かれたことに対して簡単に一言で終わらせてしまった。

「焚きません。」

「そうか・・・。」

会話が途切れ、他に何か無いかと思い顎に手を当て考える幸村を見た才蔵は。
あまり物事を深く考えないせいか、幸村は香についてなにか知りたい事でもあるのかと思い。

「くノ一ならば香を焚くかもしれません。」

などと助言をする才蔵。
また先ほどと同じ言葉を洩らし、結局そこで才蔵とは別れた。
特に香についてこだわりがあるわけでもなく。むしろ香の事から今は離れたいと思っているのだがしかしながら。
折角才蔵が教えてくれたのだからいくらなんでもそれを無下にするわけにも行かないと
自然と幸村の足はくノ一の居る所へと向かう形となってしまった。


屋敷の端で、なにやらくノ一が三人固まって話をしている。しかしその様子からしてただの雑談のようだ。
幸村の姿を捉えたくノ一の一人は軽く姿勢を正した。だがその様に畏まる事で来た訳ではないのだから、普段どおりで良いと言えば幾分か肩から力を抜くくノ一達。
前置きとして、特に用という用ではなくて。とつけたし香を焚くのかどうか聞けば。

「任務の際に焚く事があります。」

何とも簡単な返答。

思えばそれは、あたりまえな事であった。
忍の任務とは敵情の視察だけではなく、情報収集もまたそれで。時には暗殺などもこなす。
その際、香に微量ながら専用に煎じた薬を混ぜて焚けば煙となって知らず相手の体を侵食させるのだと言う。
また、暗殺だけでなく色を使う任務の際にもそれは使われるらしい。それを聞いた幸村は一瞬だけ息を詰まらせた。
だがその変化は微妙でくノ一達は特に気にはしていないようだ。

くノ一の話をよそに、幸村はまた、思い出す。
人よりも柔軟な思考の持ち主であるものの、それは少し度合いが強く。
簪は女だけの飾りと誰が決めたのかと言いながら人の頭に簪を差してくるような者だ。
もとより珍しい物や、化粧事。色んな物に興味を示す。
その為かどうしても香を見ていると政宗の事を思い出し。尚且つ暫く会っていない所為もあってか胸の内で会いたさが募る。
しかしそんな事を誰かに言うわけにもいかず。結局吐き出す場が無い為内側でグルグルと燻ってしまうのだ。
そしてそのやり場の無い想いはやがて理不尽な八つ当たりにも等しい怒りへと変わることも、ままある。

どうせ香など焚かぬのだからいっそ渡してしまおうか。
それを口実に会いに行っても罰は当たるまい。
だが素直に会いに来たと認めるのも悔しいし、何よりあの勝ち誇った余裕のある笑みに見下されるのがどうにもこうにも。

「・・・腹立たしいな。」

突然洩らされた言葉に驚くくノ一たちを見て、はっとする幸村。
何処から何処まで自分は言葉にしてしまったのか。まったく自覚の無い状態だった為、それすらわからない。
とりあえず、くノ一達には一言謝り関係ないということだけは伝えておいた。

「しかし、香にその様な使い方があったとはな・・・。」

「普段は堅物の殿方でも、煎じる薬さえしっかり選べば簡単な事ですから。」

にこりと微笑みながら言うには如何せん台詞が過激だ。
「そ、そうか。」と普通を装って返したが内心はくノ一は敵に回したくないと思う。
息抜きにもなったし、そろそろ日も暮れ始める頃だと思い部屋へ戻ろうなどと思った矢先。先ほどのくノ一の言葉を思い出す。

どんな者でも簡単に。
それならばあのいつも勝ち誇っている政宗にも効くのか。とか。
毒を盛らなければ問題は無いだろう。とか。
香を焚いた後、どうするかなどはその時考えるとして。
今はただ、いつも見下した顔をする政宗の崩れた姿を見てみたいという。何とも歪んだ考えが先走る。

なんとも面白い事を思いついたと幸村は内心で策略的な笑みを浮かべた。
思い立ったが吉日。早速実行に移ろうかと、くノ一達にほしい薬の成分を言えば特に何に使うとも聞かずに差し上げますとなんとも簡単な答えだった。
幸村ならば大丈夫だろうと言う信頼がなせる技である。
それにその類のならば別に人体に影響が強く残るわけでもないのだからと、薬の成分を知っているからこそ。

薬を受け取った幸村は、部屋へもどるなり荷物を纏め支度をする。
とは言うものの、今はもう日が暮れている。出るのは明日朝日が昇る前辺りが一番よい時間だと早めに床へつくことにした。




朝。門前にて小助と幸村は会話を交わしていた。
それは勿論、自分の影として今日はどう動けば良いのか伝えているのだ。
だが仕事さえこなして居ればそれ以外は自由で構わないのだ、伝える事など一つ二つですんでしまう。
どちらかと言えば、幸村からではなく小助から、と言った方が正しい。

「幸村様、絶対お土産買ってきてくださいよ。」

「わかった・・・・わかったからそう何度も言うな。」

以前にやはり小助に無理言って急に影としての仕事を押し付けた際に土産を買ってくると言ったものの。
結局いろいろとあって買うに買えず(と言うかすっかり忘れてた)幸村は手ぶらで帰ってしまった。
土産を楽しみに、そして糧として頑張って信幸から押し付けられた大量の仕事もこなしたというのに。
これではあんまりだと臍を曲げ、2週間は幸村を見れば恨み言を囁くかの如く。
「お土産・・・・お土産・・・・。」と、なんとも子供じみた仕返しというか。そう呟いては幸村を困らせていたのだ。
それを思い出し、さすがにあれをもう一度やられるのは勘弁してほしいと、土産は向こうにつく前に買っておこうと決意する。
そうでもしなければまた同じ事となってしまう。




愛馬を駆り、山間を駆け抜け幸村は奥州へ向かう足を速めた。
一度想いを認めてしまえば後から湧き出る感情に戸惑いつつも、受け入れることは簡単で。
久しぶりに会う政宗の事を考えると、単純なまでに心が跳ねる。動機は不純だが、会いたいという気持ちに偽りは無い。
ただそれから先が屈折しているか否かの違いなのだが。

ただ一つだけ幸村が気にしていることがある。
昨日思い立ち今日出立したのだから、勿論相手へ連絡をとったわけではない。
着いて政宗が居なかったらどれほど間抜けな事だろうと思うが、しかし逸る気持ちは抑えられぬほどに先へ先へと走る。

見慣れた山を抜け、だんだんとまだ慣れない山へと入っていった。
境を抜け、奥州の端まで入る頃には既に日は高く上っている。
途中の川で馬を休めつつ、少しずつ相手へと近づいていく幸村の心臓はただ馬を駆っていただけの物ではなく。
もうすぐ会える期待と、居なかったら、会えなかったらと言う不安が織り交ざっている為である。

(何とも・・単純だな)

ほんの少し前までの自分が今の自分を見たのならば、見下して鼻で笑っているであろう。
自分自身でそう思えるというのに、どうにもこうにも気持ちを抑える事ができない。
やれやれと溜息をつきながら休み体力を多少戻した馬に跨り、暫し空を見上げて雲の流れを見る。
少しだけ早く流れる雲は、まるで今の自分の気持ちを表しているかのようにも見えて。
苦笑をひとつ洩らすと馬の腹を躊躇い無く蹴った。

突然の来訪に、呆れと驚きを入り混じらせた表情の政宗を想像して、ほんの少しだけ鼓動が高鳴った。



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