Anarchism -アナーキズム-


- 02 序章 -



夜もすっかり深くなり、あと20分ほどで日にちが変わるような時間。
維月は暗闇の中、灯りもつけず一人で『木下製薬』のビルへと来ていた。
10階建て構成のビルは普通のビジネス街にある物としては比較的小さい方であるが、そのバックにあるものが大きい為か潰れずにいる。
下から見る限りまだ社長室には電気がついている。きっと今頃、殺し屋の報告がない為にビクついているのだろう。
噛んだ小指の爪はもうボロボロになってしまっているかもしれない。

「お気の毒にな・・・あいつらを敵に回すからだ」

溜息をつき小声で呟いた。
正直、中条と稜々谷よりも幾分か維月の方がまだ優しい方だ。
二人は幼い頃から裏の世界で生きていた。表から裏に途中で身を投じた維月よりも、はるかに厳しく状況に応じての判断は時に冷酷だ。
裏の世界にその血と肉が染まっている分、裏のルールを崩すような奴は許せないらしい。ある意味、それも正義感と言えばそうなるのかもしれない。

「確か、三つ目だったな」

裏口の通風孔から入りこみ、三つ目の通風孔を見つけそこから一旦部屋へと出た。
予め、侵入しておいた仲間の手によって、外しやすくしてあるおかげで多少の道具があれば、維月一人でも難なく取り外しができる。
電気系統にも一工夫させているのか、換気扇すらも稼動していない。これでは空気が濁るだろうと、せずともいい心配を少しだけしてしまう。
暗い部屋。灯りをつけずに手探りでドアを探す。壁に耳を当て、廊下の気配を探り音を聞くが人がいる気配はしない。
音を極力立てず、ゆっくりとノブを回してドアを開ければ非常口の誘導灯の淡い灯りだけが、不気味に廊下を照らしていた。
そこから廊下には出ず、視線を上に移すと微かな機械音を鳴らしながら稼動している防犯カメラ。
幸い、維月の覗いているドアは死角となっている。ただ上るべき階段は、確りと範囲に入ってしまっている。
後はタイミングを計り、カメラから死角となった瞬間を狙い階段へと向かうだけ。
目を閉じ呼吸を整え、今回の作戦をまた頭の中で繰り返す。







カツッと音を立ててペンで地図を叩く。

「いい? 木下はとにかく用心深くて色んなところに防犯カメラを設置しているの。
 とりあえず、前もって通風孔は外しやすくしてあるから出入りの方は難しくないけれど、問題はカメラ」

広げた地図にカメラがある場所を赤いペンで印をつけていく。それを見ただけでもかなりうんざりする量だ。
玄関前に廊下のあらゆる場所。階段前に踊り場。馬鹿だろうといいたくなったが、言っても仕方がないと言葉を飲みこむ。

「まず最初は問題ないわ。
 三つ目から下りた最初の部屋の前は、目の前のカメラさえやり過ごせばどうって事ないもの。部屋も死角だし」

「ただ、いくつかダミーが紛れ込んでいるから。それが次の階段の踊り場のカメラ。
 九階までは全部ダミーだけど、十階は本物。だから十階ではまた通風孔を使う事になるわね」

中条が横から青いペンで踊り場に印をつけた。
確かにたくさん設置するとしても、ダミーを混ぜればある意味効果的と言えばそうなのだが。これはいくらなんでもやりすぎだ。
覚えるこちらの身にもなって欲しいと、維月は頭を掻いた。

「アンタなら簡単でしょう?」

「それを簡単に言ってのけるあんたが怖いよ」

肩を竦めて中条へ言葉を返す。
対して笑みを浮かべている中条だが、稜々谷はきにせずに更に説明を続けた。

「九階までは階段を使ってもらうけど、階を上がるごとにカメラの位置に気を付けてちょうだい。
 大体これぐらいの位置なら、映らないから」

後はその場での判断に任せると、なんとも大雑把極まりない。
信頼してくれている。そう言えば聞こえは良いが、言わば放任主義と言うやつだ。
これぐらいやってのけなければ、これから先到底この世界では生きてはいけない。シビアだがそれが現実である。
文句を言うぐらいならばはじめからこんな世界に、身を投じなければいい。そう言われればお終いだ。

「わかったよ。後は私の腕でも信じててくれ」

「失敗したら見捨てるから」

笑顔で怖い事を言うと、冷や汗がまた維月の頬を伝った。







中条からの嫌な言葉を思い出して一瞬身震いをした維月は、軽く頭を振ると改めてカメラへと目を向けた。
九階までの道程はそんなに難しいものでもない。様は階段前のカメラにさえ気をつけていれば良いだけの話だ。
警備員はまだ見回りの時間では無い。だがゆっくりもしていられないのも事実。

「よし」

唇を湿らせて、維月はカメラが階段を捉えない位置になった瞬間、ゆっくりとドアを閉めて階段へと足を進めた。
音を極力立てずに昇り、ダミーのカメラの下で一旦足を止め、二階の廊下にあるカメラを確認する。
一階のカメラはまだ戻っては来ない。しかし許される時間は30秒。息を呑み、二階へと昇る。
腹這いになり、ゆっくりと階段を這い登る。また、カメラが範囲から外れた所で身を起こして次の踊り場へ。
それを繰り返しながら維月は九階へと向かった。






灯りをつけた社長室には、カチッカチッと爪を噛む独特の音が響く。
いかにも気の弱そうと言うような男。この会社の社長である木下が一人、膝を小刻みに揺らし爪を噛みながらパソコン画面を食い入るように見ていた。

「い、いいい、一体奴等は、何をしているんだ・・・!
 まさか・・・し、失敗したのか・・・? そんな馬鹿な! 女一人殺すのに、三人も雇ったんだぞ!」

殺し屋からの報せが来ない事に神経質なほどに先ほどから、メールの受信箱を開いては閉じを繰り返し行っている。
だがいくら開けど、死者からのメールなど来る筈もない。その事実すら知らない木下は昨日からこの状態なのだ。

「こ、こうなれば上に頼んで・・・いや、ばれた事が知られれば私もただでは・・・。
 だが、だがこのデータさえここにあれば・・・」

マウスでクリックした他のデータ。そこには文字が羅列されている。
だがそこで、社長室の電気が突然消えた。突然の事に驚いた木下は声を荒げながら椅子から転げ落ちてしまった。
どうやら腰を抜かしてしまったらしく、四つん這いでドアへと向かった。電機のスイッチを入れに行こうとしているらしい。

「ま、まったく、何だと言うのだ。私が、私が何をしたというんだ・・・っ」

「何って、守るべきデータ、盗まれたじゃない」

予期せぬ言葉。確かに電気が消える前までは木下しかこの部屋にはいなかった。
だが木下が驚き尻餅をつきながらデスクの方を向けば、月明かりの逆光で顔は見えないが、確かに誰か一人立っている。
誰だと言いながら木下はそのまま後退りして行くが、その影はそこから動く様子もなく何かパソコンをいじっていた。
自分の元へと来る様子のない相手の動きに、逃げるなら今のうちだとドアへと向かおうとしたが、突然足に激痛が走る。

「駄目だよ逃げちゃ。ちゃんと、償わないと」

「な、なにを・・っ! あれは、あれは私のせいじゃない!」

「だーめ。データの管理とか、社長さんが最後の責任なんだから。責任、とらなきゃね」

影しか見えないというのに、声音だけで笑っているように感じるその存在の不気味さに、木下は発狂に近い声でヒステリックに声を荒げた。
普通の足取りで木下の所へと向かってくる影に対し、護身用に持っていた銃を構え構わず、引き金を引こうとする。
しかし安全バーが下がったままでそれは叶わない。

「ヒッ・・・、 た、助け・・・」

「だーめ」

バシュと、何かが風を切る音が聞こえた。






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