日常と非日常の境






早朝。まだ太陽も昇りきらない時間。
幸村はいつも通りに目を覚まし、一通りの準備を済ませれば鍛錬場へと向かう。
そうして太陽が昇りきり、家の者たちが目を覚ましきる頃には一汗かいて、井戸水で軽く汗を流し自室へ向かう。
だが朝の爽やかさなどその障子を開けた瞬間、全て掻き消えてしまう。

「・・・いつもいつも、この山を見ると溜息しかでないな・・・。」

兄、信幸から回された仕事の山。
毎日というわけではないが、こちらに仕事が回される回数は明らかに多い。
だが信幸の判で無ければならないものは一切こちらに混ざっていないところを見れば、一応目を通してから持ってきているらしい。
そんな時間が有るならば、そのまま片付けてしまってくれれば良いのだが。

「・・・これさえなければ、自慢の兄なのだが・・。」

文句を一人零しながらも、重い足取りで卓の前へと行き一頻り書の山を見据えると、改めて座って筆を取った。
これが、いつもの幸村の日課である。
いつも通りの朝を迎え、いつも通りの事をする。何気なく単調な日々ではあるが、それが退屈と思う事は贅沢である。
今の世は変動が激しい、その中、変わらずに日々を過ごせる事がどれだけ幸せな事か。
だが、やはりこの書の山はどうにかして欲しいと思うのもまた事実。
昼餉を終えて、まだ残る書へと向かおうとした幸村。だがそんな幸村の元に、侍女が一人荷を持ってきた。
政宗公からの届け物です。などと言われてしまえば、開けないわけにも行かない。
だが、正直開けるのが躊躇われた。こんなに開けるのに不安になる荷など、この世の中、政宗からの物以外無いと。
暫し荷を睨みすえ、深い溜息を一つ。意を決して開封した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ。」

開けて、絶句。
中から出てきたのは、金糸銀糸を散りばめ、広げずともその豪華さが見て取れる華美な赤い、艶やかな。


女物の着物。



「ッ、佐助っ、佐助ぇぇ!!!!!」

昼下がりの城内に響く幸村の声。
政宗からの荷が届いた事を知っている者は、やはりと苦笑一つ。知らない者は、また何かあったなと溜息一つ。
結構よくあることらしい。
その中、呼ばれ音も無く現れた佐助。怒り心頭のまま、その着物を掴み立っている幸村を見て、マイペースに用件を聞く。

「この荷を、今すぐ政宗公へと送り返せ!」

「しかし幸村様。相手は仮にも150万石の奥州を統べる国主ですから、送り返すのは失礼になるかと。」

持った着物を勢いよく、箱へと叩きつける。
だが佐助はやはり平然としたままで、慣れていると言うよりも、何にも動じないのであろう。

「失礼になる?男の俺に、女物の着物を送りつける事は失礼では無いのか!」

最もであるが、相手は政宗。一般の常識ではなく、己のレールをひた走る暴走列車である。
幸村の当然の怒りも、政宗からしてみればただの照れ隠しと思われてしまう。
そして今話している佐助もまた、似たり寄ったり。

「そうは言いますが、幸村様。俺は結構この見立ては間違っていないかと。」

「俺に、これを着ろと?」

「だって幸村様は、女物も似合いますから。可愛いと思いますよ。」

さらりと、表情も変えずに言われた佐助の言葉。
口元は笑みを、目には怒りを浮かべて幸村は更に言葉を投げつける。

「・・・・お前、俺と政宗公、どちらの味方だ?」

「勿論幸村様ですよ。だって真田忍隊ですから。」

「・・・もういい、お前では話にならん。小助を呼んで来い。」

「わかりました。」

いつもこのやり取りの繰り返しである。どうも佐助は言葉では言い包められない。
それどころかこちらの心労が増すばかりである。正直、本当に自分の所の忍隊なのかと、問いたくなることもある。
一方、忍隊の者がいる仮の詰め所へと戻れば、根津が先日土産に持って帰ってきた饅頭を、一人ガツガツと貪る小助の姿が目に入る。
幸村が呼んでいると言えば、慌てて茶で流し込んで詰め所を後にした。
小助の居なくなった後、佐助は今まで小助の座っていた場所に座れば、残っている饅頭を一つ摘む。

「・・・幸村様は、一体どうしたんだ?」

先ほどの怒鳴り声が聞こえたのだろう。気になった十蔵が、静かに問いかけた。

「なに、何時もの惚気だ。」

本人が聞いたら憤慨しそうな答えを、さらりと漏らせば周りもその一言で納得してしまう。
たぶん幸村が知ったら槍を持ち出すだろう。だからこそ、この会話は幸村の居ないところでされるのだ。

小助はそんな仲間たちの会話など知らず、急いで幸村の自室へと向かえば、障子越しに感じる嫌な気配。
幸村が政宗の荷を開けたくないのと同じで、小助もまた、こんな気配がする幸村の自室の障子は開けたくない。
だが呼ばれたのだから何時までもそうしているわけには行かないので、結局恐る恐ると開けてみれば。

「ゆ、幸村様・・・・?」

「あぁ・・・来たか小助。」

何だか嫌な笑顔を浮かべた幸村が、立っていた。
青ざめつつ、用剣を聞けば。

「この荷を、政宗公の元へ直接持っていき叩き返して来い。」

返却方法がグレードアップしていた。

どうやら小助を待っている間に、幸村の中で政宗への怒りが、佐助とのやり取りもあり増長させられたのだろう。
いい迷惑である。
だが小助はそれ以上に、何故自分が送り返さねばならないのかと、聞きたくは無いが、聞いてみた。

「見ろ、この仕事の山を。俺はこれのおかげで出る事ができん。」

こう言うときには、利用できるものは利用する。それが幸村である。
確かにまだ仕事は山と詰まれている。それを見れば頷いてしまいそうになるのだが。

「あ、あの・・・でしたら俺でなくてもい、 「お前は。」

小助が断ろうとしたのだが笑顔で言葉を遮った。思わずゴクリの喉が鳴る。

「お前は、俺の影だろう? 政宗公も、俺に似ている奴が持っていけばまぁ、納得するだろう。」

人身御供か!?

小助の内心はそれである。
食われる事は無いだろうが、着せられるぐらいはするだろう。きっとするだろう。
冗談じゃないとさすがの小助も、主に逆らう気が起きてきた。

「お、俺は嫌ですよ!幸村様が行ってくださいよ!仕事は、信幸様に渡せば良いじゃないですか!」

「ほぉ? じゃあ何か?お前は、自分が嫌だから主に行けと?」

自分が行くの嫌だから部下に押し付けようとしてるじゃん!
声を荒げて言いたいけど、そこは理性が押さえ込んだ。たぶん言ったら最後だっただろう。

「ちょっと奥州まで行って、政宗公の満足いくまでこれを着て、その顔面に投げつけて返してくるだけでいい。」

これ以上無いまでに返却方法が更にあがった。
どうやら、小助のとの会話の中で更に怒りのゲージが蓄積されたのだろう。

「そんな事したら、俺が斬られます!」

「大丈夫だ、お前は忍びなんだから。」

「忍でも、向き不向きがあります!!」

何が大丈夫なのか。ここまで傍若無人になった幸村も珍しいのだが、そんな事を思うほど今の小助に余裕など無い。
断固として頷くものかと、今までに無いくらいに逆らう小助に、幸村はふっと笑顔を浮かべた。
一瞬浮かべた笑顔。それに思わず呆気に取られ、一瞬だけ気を抜いてしまった。

「小助、お前は俺に行け、と言ったな。 ちょっと返品しに行って、挙句の果てに着たくもない物着せられて・・・。
 その上竜に食われました(笑)で終わらせろというのか、
何が(笑)だ!!笑えるかぁーーーーー!!!!!!!

「ゆ、幸村様が壊れたー!!!!」

何処からか槍を取り出して、小助へと向けて攻撃を繰り出せば、戦場でも無い位に必死に避ける小助。
その後暫くして、騒ぎを聞きつけた昌幸の一刀の元、幸村の手から槍は叩き落されて、とりあえず家臣に押さえつけられる。
幸村が落ち着きを取り戻すまでの間に小助から事情を聞いた昌幸は、とりあえず受け取った者が返しに行くべきだと言われ
渋々、何度となく馬の足を止めながらも、奥州へ向かい結局10日ほど帰ってこなかった。

そしてその上田城内の騒ぎを、庭に居て花の植え替えをしていた信幸は知っていたのだが
自分の事なのだから自分で何とかしろとばかりに、我関せずで自分の時間を大切にしていた辺り、鬼だろう。