縋る






子供が小さくなって泣いている。何かを求めるように手を伸ばして。
けれどその手を掴む者はなく。

変わりに向けられたのは冷たい。




     これ、この醜い者は誰じゃ。

     はよう、去ね。

     妾はこの様な者、知らぬ。




言葉と、眼差し。




突き放されたと。そう感じた次に沸き上がったのはどうしようもないほどの悲しみと。失ったものを更に求める心。
内側で暴れるそれはどうにも手をつけられず持て余し。

いっそ手に入らないのならば何も見なければいい。
いっそ離れてしまうならば何も求めなければいい。

全てから拒絶された心は。全てを拒絶して。

奥へと隠れて、誰の目にも映りたくない。
奥へと隠れて、誰の声も聞きたくない。

けれど触れてくる者が居た。声をかけるものが居た。
ついには外を嫌う自分を無理に外へと連れ出して。
ただ一つのこの目には、外の光はあまりにもまぶしくて。それでも久方ぶりに見る外はどれも新鮮で。

外に広がる色が、その一つの視界に飛び込む。

葉が緑で空が青で。自分の髪が灰青で目が金で。

全てに色がある事を、初めて知った気がした。


それでも、求めている者は手に入らず。求めていたものは更に遠ざかって。
知った瞬間、落ち着いた心がまた暴れだした。

抉られた目と共に心も抉り出されて。募りすぎた思いは狂気に成り代わるのに時間など要さずに。
この無き目が醜いと言うのならば、もっと醜くなってしまおうかと。
人の形が残されているから、こんなにも辛いのだと。
このような半端な姿ならばいっそ全てが、醜く形を崩してしまえばいい。
そうすれば嫌悪される苦しみも。蔑まれる言葉も気にならなくなる。

思いは弾け、ただこの無き右目覆う瞼の上から我武者羅に掻き毟った。愛しい者の名を呪詛のように呟いて。
何度も掻き毟り、爪の間には自らの僅かな肉片がこびり付く。
きっと、誰かが止めなければそのまま右顔面は、潰れ果て血に塗れていただろう。
それでも傷は深く。今も尚痕となってそこに残り。触れるたびに思い出すのはどうしようもない空虚感。

つけた傷に強い思いがあれば、それはいつまでも残ると聞いた事がある。
それならばこの傷は、一生消えはしないだろう。
それでも、母が己の母である事実に変わりは無く。
いっそ突き放すそれも愛なのだと思えば、心の狂気は落ち着きを見せる。


愛の、形などなんでもいいのだ。


突き放して、追い詰めて。縋るものが一つしかなければそこに愛を見出せばいい。
突き放されて、追い詰められて。縋る者が己しかなければ大将を、自らの元へ引き込んでしまえばいい。
他の愛し方も、愛され方もとうに忘れたのならばそれでいい。たとえ歪んでいても、それが愛し方なのならば受け入れる他無いのだから。
それに耐えられぬなら手放して、自ら離れれば済む事だ。






目を開ければカサカサと枯れた葉の擦れ合う音が耳に飛び込む。
まだ開ききらない目を何度か瞬きする事で慣らしていく。

「起きられたか?」

頭上からかけられた声に顔を少しずらして視線を向ければ。
そこには幸村の顔があった。

「・・・・あぁ。」

「ならば早く離れていただきたい、足が痺れてきた。」

少々呆れ気味な口調で言う幸村を無視して再び目を閉じようとする。
だがそれは突然ずらされた足によって後頭部を畳に打ち付けた為叶わなかった。

「俺は貴殿の枕ではないのだが?」

微笑みながら言うが、その笑顔には怒りが見て取れる。
打った個所を擦りながら起き上がり、軽く睨み据えてやるが、平然とした顔で少し距離を置いた。
幸村の様子に溜息をついて、やりかけの仕事をしようと立ち上がる仕草をする。
それを見て、少し油断したのだろう。身構えていた幸村から、力が抜けるのが視界の端に映る。
政宗がそれを逃すはずが無く、素早く手を伸ばし幸村の長い横髪を掴んだ。
少し強めに引っ張れば幸村の顔は苦痛に歪む。

「ッ、何をなされるか・・・。」

当然の抗議。さすがにこういった痛みになれているわけでもなく。
眦には痛みで沸きあがった涙がほんの少しだけ溜め込まれた。
それを見て満足したのか、政宗の手は離れていき離された後は痛みを訴える個所を擦っている。

「幸村、貴様は何故俺の元に来る?」

突然の質問にただ驚き目を見開く。
予期せず来た政宗の問いにただ戸惑うばかりで、口を噤んでしまう。
そんな幸村へただ視線を合わせてくる政宗の眼は、いつもとは違う感情を映し出していた。

「・・・・貴殿は、何を不安に思われている?」

「夢を、見た。
 俺の右目が失われ、母の愛を失い、この右目に更に傷を残したときの。」

幸村の手を取り、眼帯の上から触れさせる。
あまり見る事のないその下には、痛々しい程までの掻き毟った傷跡が残っているのを知っている。何故、そんな傷をつけたのかも。
眼帯の縁に沿って、撫でればその手を包み込まれた。

「俺は突き放す事も愛だと思う事にした。そうでなければ、壊れてしまいそうだった。
 気付いた時には他の愛し方を忘れてしまって、俺はそんな愛し方しかできなくなった。」

「政宗公。」

「だから時に不安になる。貴様が俺から離れてしまうのではないかと。」

永遠である確証など何処にもありはしない。
ただそればかりが内側で暴れまわり、壊れてしまう恐怖と、壊してしまうかもしれないという恐怖がちらつく。
分かっていても止める事ができないその感情は狂気へと成り代わり、ただ行過ぎた愛の表現に置き換えるしかなくて。
それが原因で離れてしまうかもしれないと思えば、狂気は恐怖へと姿を変える。

離れたければ、離れればいいと。今まで何度となく寄って来た者には思ったというのに。
目の前に居る幸村には、離れてほしくはないと。心が軋んで訴えた。


「政宗公。」

名を呼んで。縋るように政宗に抱きつけば政宗も強く抱き返す。

「政宗公、俺は貴殿が思っているほど弱くはない。
 それに上田からの距離を、俺は貴殿に会いたく来ているのだ。」

政宗から縋る手を払われない限り、離れる気は無いと。囁けば、更に強く抱きしめられる。
そこに流れるのは静かな空気の流れと。少し強い風に揺らされる、障子紙の音と外を漂う、葉の擦れる音。
暫しそのまま強く、互いの温もりと存在を確かめ合うように、抱きしめあっていた二人は自然と離れ。ただ後には、優しい空気だけがそこを彩る。

「俺とて万能ではない、時に弱くなる事もある。
 どうしようもなくなった時、またこうして貴様に縋るかもしれん。」

「たまにでもこうした姿を見せるのなら、それでいい。
 それに俺ばかり弱い所を知られているのは、どうにも癪に障る。」

柔らかく言えば互いに微笑を洩らした。



時に弱さを見せて。見せられた弱さを優しさで包んで。
優しさと、狂気の愛を受け入れる。

ただそこには駆け引きも打算もいらない。
互いに愛し合って。ただそれだけで充分すぎるほどの思いがあるのだから。